周辺観光

浦賀エリア

ペリー来航の地として知られる浦賀エリアは、江戸時代は干鰯問屋・廻船問屋の町として、明治以降は造船の町として栄えました。周囲の海が美しい燈明堂や、多くの船を海に送り出した見事なレンガ造りの浦賀ドックなど、現在も当時を偲ばせるスポットが点在しています。開国の風を感じる浦賀のまちにぜひお立ち寄りください。(下記の外部サイトもご参照ください)
横須賀市観光協会 ここはヨコスカ(横須賀観光情報) よこすかルートミュージアム 日本遺産認定 横須賀市の構成文化財
浦賀エリアの見どころ

※各施設の利用時間、利用方法等はリンク先をご参照ください。

浦賀ドック
一世紀以上にわたって約1000隻にのぼる艦船等を造り続けてきた住友重機械工業株式会社旧浦賀工場の跡地です(2021年にドックを含む周辺部について住友重機械工業株式会社から横須賀市に寄贈)。2003年に閉鎖されるまで、日本丸や海王丸をはじめ、青函連絡船・護衛艦などの船がこの造船所で建造され、街はで働く人たちでにぎわいました。レンガ造りのドライドック(1899年建造)を見られるのは国内で唯一ここだけです。
浦賀ドック
浦賀の渡し
ポンポン船の愛称で親しまれ、浦賀のシンボルになっている渡船は、港に隔てられた東西の浦賀の町を行き来する人にとって、大切な交通手段です。時刻表は無く、渡船が対岸にいるときは、呼び出しボタンを押すと、すぐに来てくれます。3分ほどの船旅ですが、浦賀造船所跡地に建つクレーンやドックを海から眺めることができます。
浦賀の渡し
燈明堂
燈明堂は浦賀港の西にあり、港に出入りする船にとって灯台の役目をしていました。 慶安元年(1648年)幕府の命により造られ、菜種油で灯された光は海上4海里(7.4km)を照らしたといわれています。建物は明治20年代まで残っていたといわれていますが、風雨で崩壊し石垣だけが残されていました。当時の外観を復元したものが建てられています。
燈明堂
浦賀奉行所跡

浦賀奉行所は享保5年(1720年)に伊豆下田から移転し、主に江戸湾を守るための船改め、海難救助を行うための地方役所として機能しました。幕末に異国船などが来るようになると、海防の拠点として活躍し、ペリーが来航したときには、浦賀奉行所が対応しました。現在でも周囲を囲んでいた堀の跡の石垣と伊豆石の石橋が残っています。

浦賀奉行所跡
千代ヶ崎砲台跡

千代ヶ崎砲台は、江戸時代後期に会津藩により造られた平根山台場跡地に隣接し、明治25年(1892年)から明治28年(1895年)にかけて陸軍が建設した西洋式の砲台です。日本遺産の構成文化財にも認定されています。

千代ヶ崎砲台跡